2016.10.26(Wed)
ごぶさたしてます

今日はちょっと思うところがあるので、残しておこうと思って
あまり頭が働かないんだけど書いてみます。
きっと、とりとめもなく・・長い・・
明日、うちの町の老舗のスーパーが一時閉店します。
町の中心となる駅前の新しい場所に移転するための準備です。
明日は5時で閉店するので行けないので今日・・も行ってきました。
あまり人がいなくて、品物ももう安売りしてたので棚もガラガラで
野菜やお肉やお魚、総菜はありました。
ここは津波で建物の外側だけ残って、中は壁に品物がぐちゃぐちゃになって
押しつぶされてました。
ここだけじゃなく町にはお店はなにもなくなってしまって・・
でも、4日後に若い専務さん(社長の息子さん)が盛岡まで何とか行って知り合いに
掛け合って野菜をもってきて売ってくれました。
会議用の長机3つくらいかなあ・・段ボールに入ったままの野菜と果物5種類くらいかなあ・・
でも嬉しかった。ホッとしたというか・・うまくいえない、あの時の気持ち
あまりにも、非日常すぎて
スーパーの過去記事が、2011年5月1日「青空市」、2011年8月7日「スーパー再開」
にあります。
(リンクの張り方忘れてしまったので、日付から探してくださ〜い)
で、8月のお盆を前にきれいになったスーパーが再開して5年と3ヶ月あまり・・
明日でこのお店が終わり、11月19日に新しく再開です
駅前が町の中心街になり、復興住宅6階建てが3棟は春頃?完成し人も住んでいるという
ふたつの銀行が入る建物、きっと大きくなるのかなあのスーパー、個人商店が集まる
総合店舗・・9月に天皇陛下と皇后様がいらっしゃった図書館が入っているふれあいセンター等々あります。
駅舎はまだない。線路もまだ復旧してない・・来年か再来年かな?
でも、都会的(笑)な感じでとてもいいなあと思ってました・・・
ん?ました・・・って
なんかね〜〜〜
ここからが本番・・
(え〜〜ここから〜〜〜って嘆かない)
私は、町があまり好きじゃなかったのね
いわゆる、田舎の古い町でな〜んにもなくて、シャッター通りで、盛岡に行くにも車で
2時間半だし・・
で、震災後新しい町ができるんだぁ・・とぼんやりと思って、そうかあ、
きれいな住みやすい町ができるといいなと期待していたのね
で、だんだん復興工事も進んでいって、以前の町の面影がどんどんなくなって・・
すると、えーーーっと、ここには何があって、あそこを曲がるとお店があってとか、
どんどん・・昔の町並みを追いかけて思い出そうとしているんだな・・
中には流されずに残っている鉄筋の頑丈な建物がある訳ね
そこを中心に右にはこんなで左はこんな感じだったな・・とかね・・
今でも、今でもそうなの
どんどん。。そうなるのよね・・
やっぱりね!
さみしいのよね〜〜〜
自分が育った町がなくなってしまって・・
新しい知らない町になるのが・・
そんなこと思ってなかったんだけど・・
なんか最近ね・・さみしい
父と母と暮らした町
父が毎日通っていた農協も建物の外観は黒く焼け焦げて残っていた
悲しかったな・・
母が毎日毎日買い物に行ったスーパー
家族のためにご飯のおかずを買いに毎日楽しんで行ってた
小さい頃は一緒に行った
小さくてごちゃごちゃしたお店だった
それから3回くらい大きくなっていって、雑貨店や100均やいろんなお店も
作ったスーパーだった
私が小学校の時に古いお店で買ったチェックのベレー帽を今でも持っている
すごく気に入って母にお願いしてかってもらったもの
お祭りの日にそれをかぶって写真を撮ったのがある
母と一緒
町は父と母と一緒に生きた場所だった
津波で流されたお店や町並み、海岸、公園・・父と母が生きていた場所だったな
今はふたりともいなくて・・一緒に生きた思い出の場所もなくなって・・
町は好きじゃなかったけど、父と母と生きた場所だったんだよね
それもなくなってしまったんだよね
新しい知らない町にひとり年をとっていくのはさみしいな・・
と思ったのよね
明日で閉店するスーパーにはね、壁際の商品の陳列棚の上にA3くらいの写真が
ラミネートされてグルッとつながって張ってあったの
震災の町の写真や、スーパーの定員さんがひと言ずつかいたスケッチブックを持った写真や
お祭り、大島、海や海岸で働く人や船、震災前の古い写真・・芸能人やいろんな人がボランティアに来てくれた時の写真、
再開されたとき、みんなみんな見て泣いてた
それ、今日帰る前にまたぐるっと見てきた
懐かしかった・・
再開したときのこと、嬉しかったこと、みんなが応援してくれるって本当に嬉しくて心強かった
お店の人ともさみしいね〜って話したり・・遠くなるので老後はたいへんよ〜とか
震災5年目
山をならした宅地も整ったところが増えて、まってましたとばかり(いや本当にまちくたびれてるよね)にあっという間に素敵な戸建てが立ち並ぶ
メインの国道は何度かの仮国道を作りやっと本道の工事で形が少しずつ見えてきた
国道沿いにはもうお店はあまり並ばないだろうけど、周りに公園ができたりするらしい
カフェもできるといいな〜と思うけど・・いまのところないみたい・・残念・・
母が亡くなって年末で4年がたつ
4年たっても思い出しては後悔したり、もっと一緒に生きたかったと思う
きっといつまでも思うんだろうな
もう、あきらめることだなあ
できなかった自分、いっぱいいっぱいだった自分、辛かった自分、どうしていいかわからなかった自分
誰かに助けてもらいたかったなあ〜ひとりで心細かったなあ〜泣いて弱音はきたかったなあ〜と今はわかる
でも、あの時は心の底にあって気づいていなかったなあ
自分の気持ちに気づく暇はなかったな・・・
できなかったなあ・・・そ、できなかったんだから・・できなかった自分をあきらめよう
自分も年をとっていくね
自分にとって大切なこと、もの、気持ち、時間、シンプルに丁寧に生きていきたい
なかなかねーなんていつまでもいってられにゃいのだ
でも、時々言うけど・・
泣き言も言う、弱音も吐く、毒も吐く
怠けたりする・・
あまりがんばらにゃい
好きなことする、無理しにゃい、嫌なことは嫌
体を大事にする!
そして〜
ふう太郎、さくちゃん、ままりん、くまたん、ちゃちゃがこの家にきてよかったにゃ〜〜って
思ってくれるようにお世話をする!
・・・・
そんなかんじ・・・しりきれとんぼでいきなし終わる・・・( ̄∇ ̄)
いやいや、長〜〜〜い支離滅裂な文章におつきあいしていただいてありがとうです
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↑この子はふう太郎とさくちゃんのおねえちゃんのトット
ふう太郎とさくちゃんたちをうちに呼んでくれたのかな
1才と7ヶ月でお空に帰りました
大好きなトット♡会いたいニャ〜
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